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被災地を救うのは、祈りよりもお金だ

人生計画であなたの夢を目標に変えて実現する、シナジーブレインの安田修です。

熊本地震は時間が経つにつれてその被害の深刻さがわかってきて、死者は40名を超えました。津波により死者・行方不明者18,455を数えた東日本と比較すれば感覚は麻痺してしまいますが、未曾有の災害であることは間違いありません。そんな大災害を目の当たりにすると、無力感に襲われてしまいますよね。そんな時、我々にできることは「何もできないけど、頑張って」と祈ることなのでしょうか。私は、違うと思います。

SNSは「祈り」で溢れている

こういう災害が起きたとき、人は無力感に押しつぶされそうになり、感傷的なことをFacebookやtwitterなどのSNSに書き込んでしまうものです。「現地の方々の無事を祈る」「ただ、祈ることしかできない」みたいな。事実、私もいつもそういうことを書きそうになり、意志の力で思いとどまります。

無関心になれと言っているわけではありません。何が起こっているのかをしり、関心を持ち続けることは重要です。しかし、その上で「祈るしかない」と言ってしまえばそれは、言葉は良くないですが「何もできないけど、自分の気持ちだけはすっきりしたい」ということなのではないでしょうか。何もしていないにも関わらず、「祈っている自分は良い人ですよ」とSNSで知り合いにアピールしていることになります。

あなたが祈って地震を止められる能力を持っているのであれば、それで良いですよ。大いに祈って下さい。でもそうでない圧倒的に大多数の人は、「祈るだけ」というのは無責任な行動だと私は思います。だったら、何も発言せずに自分の無力さをじっと受け止める方がマシだと思います。精神的にはしんどいですけどね。

現地に行ったり、物資を送れば良いか

何もしない自分に耐えられないからといって、現地に駆けつけてしまう人や身の回りの古着などを送ってしまう人もいますが、これは明らかに迷惑です。少なくとも今の段階では、行くのは絶対に組織だって動けるプロの方が良いですし、必要な物資を必要な場所に届けるための交通網が混乱しているのですから、宅配便で変なものを送るのは迷惑でしかありません。

少し落ち着いてから、現地のものを買ったり現地でお金を使ったりするのは良いと思います。経済的に支えるということです。単にお金を送るよりは、そういう形の方が気持ち良くできるという人も多いでしょうから、これは否定しません。大いにやれば良いと思います。ふるさと納税も負担がなくて、良いですね。

とにかく自粛しておとなしくしているか

人間というのは極端から極端に振れてしまうもので、現場に行けないならとにかく自粛だと経済活動を止めてしまう人も一方ではいるのですが、これも無意味です。現地の人が大変なときに楽しい思いをしたり美味しいものを食べるのは気が引けるという気持ちはわかりますが、国全体が暗く沈んでどうするんだと思います。

少なくとも今まで通り、むしろ今まで以上にお金は使って、経済を支えた方が良い。私は自粛も「祈り」に似た行動だと思います。自粛することで、当人が気持ち良くなっているだけです。被災地では誰も、あなたがちょっとだけ質素な生活をすることなんて望んではいません。その分寄付をするなら、まだわかりますけどね。

お金を送ればそれで済むのか

ということで、祈ったり望まれない行動をしたり、自粛をするくらいならお金を送った方が良いというのが私の持論です。もちろん、何もしないという選択肢もあります。生活に余裕もないのに無理して大金を送るのが良いとは思いません。気持ちを表現したいなら、祈るよりは千円でも良いから送ったら良いとは思いますが。

もちろん、大金を送ったからそれで終わり、というものでもないとも思いますよ。適切なタイミングで、必要な行動を起こせる人達のことを、素晴らしいなと思います。ただ大多数の人は、仕事があり生活があります。守るべき家族がいます。だから、何もしないという選択は決して責められるべきではないんです。

私も今回は、正直迷いました。サラリーマン時代は経済的な余裕もあったので、東日本の震災にはある程度の金額を寄付しました。今回は起業をして間もなく、家族にも経済的な負担をかけている状態でまだ余裕もないというのが実情ですから、その中で「お金で解決」みたいなことはできないなと。

そんな中、ビジネスパートナーの大竹氏から、共催している「ストックビジネス実践会」の次回分をチャリティーにしようというご提案を頂きました。イベントの料金を全額寄付をする。全く思い付きませんでした。これであれば、私も無理なく、意味のある金額を送ることができます。ビジネスをやっているのなら、それを活かして多くの人の気持ちを集め、支援ができる仕組みを考える。貴重な学びを得た思いです。

偽善と自己満足

こういうことを考えるときに良く考えるのが、偽善とか自己満足ということです。祈りも、現地におしかけるのも、自粛も、寄付でさえ全ては偽善・自己満足ではないのかなと。しかし、この歳になってようやく、それはそれで良いのかなと思うようになりました。

結局、受け取る側の気持ちなんて究極のところはわかりません。自分の気持ちが全てです。それでも、できるだけ良いことをしたい。役に立つことは何だろうと考えたとき、祈りよりもお金なんじゃないかなと、私は思うということです。これだって、自己満足なのかもしれませんけどね。それでは、また。