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挫折を乗り越えていない人間はダメ、みたいな風潮

夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。

一般的に「挫折を越えた人は強い」と言われています。それは、そうかもしれません。が、それが一歩進んで「挫折を知らないやつはダメだ」になり、更に何歩か進んで、「起業をするなら挫折を越えていないといけない」、みたいな風潮すらあります。これも、変な話だと思うんですよ。

挫折をくぐり抜けてきた人間は強いという常識

起業家に対する良くある質問として「起業をする決意をした決定的なキッカケはありますか?」というものがあります。大抵こういう質問をしてくる人は、期待で目をキラキラさせて聞いてきます。敢えて言えばそこには、人並みはずれた悲劇の話を聞きたい、という期待があると感じます。

例えば、大病を患って死にかけた、パワハラで鬱病になり自殺未遂をした、家庭が荒れて不良になった、ある日突然妻が子供を連れて逃げ出した。そこから立ち直り、社会に貢献したいと思った、みたいな話です。話としては面白いので、聞きたがる気持ちもわかりますし、こちらとしてもそういう話を準備しておこうかなとも思います。

一方で、一般論として「エリートは挫折を知らないから弱い」というストーリーがあります。エリートの犯罪とか、庶民の食卓ではとても好まれるニュースですよね。東大出の官僚なんて、小さな頃からめちゃくちゃ努力しているのに、ちょっとした事件で叩かれてかわいそうだなと私は思います。

挫折を越えてきた人は強い、これは事実だと思います。挫折を越えられなかった人はそこで消えるわけで、越えてきた人は次に来た挫折も越えられる可能性の高い人であるとは言えるでしょう。では、挫折を知らない人はどうか。これは、まだ未知数、つまりそれを乗り越えられる人と乗り越えられない人に分かれる、それだけのことです。

自己開示という「マニュアル」の弊害

なので、挫折の経験というのは人間の強さを計る上では必須ではないのですが、そういう世間の期待があるので、「挫折を乗り越えた時のストーリーを感動的に語る」ことはもはやセミナー講師の業界ではマニュアル化されています。それを自己開示、なんて呼んだりもします。そうすると、共感が呼びやすいからですね。

自分の弱さを見せることで多くの人の共感を得られるのは事実ですから、積極的に自分から弱さを開示するのは、もはや「セオリー」なんですよ。セミナー講師は、挫折の話が無かったら、作ってでも話をしないといけないかな、というところまで追い込まれます。

セミナーしかり、出版しかり、テレビインタビューでもそうでしょう。だから世間には、挫折を乗り越えた話をする起業家が溢れています。大抵の起業家が、病気で死にかけているか鬱病になっているか、家庭崩壊の経験をカミングアウトしているという状態です(笑)。

私には、だから起業は特別な人がするんだ、という変な参入障壁を作ってしまっているように見えます。もっと「普通の人」がどんどん起業をするべきなのに、「普通の人」であるが故に夢を諦めている人が結構いるように思う。とても変な話ですが、笑えない話です。

挫折を経験していない人が抱える悩み

前段の東大生と不良の話もそうですが、とかく世間は不良から頑張って社長、みたいな話が好きです。でも、不良なんてやっていたのは本人の「選択」ですよね。お酒を飲み過ぎて大病を患った、なんてのも選択です。その挫折って自業自得だよねと思うものでも、「挫折が無いよりはマシ」みたいな風になっています。

明らかに、これは行き過ぎです。そういう大きな挫折を経験していない人も、長い時間をかけてこつこつと努力を積み上げています。日々悩んでいますし、苦しんでいるんです。しかしその悩みはすぐには命に関わらないので平凡であるとみなされ、鬱病になるまで誰も助けてくれない

私は、そういう「普通の人」にこそ幸せになって貰いたいと思います。大きな挫折が無く、ただ繰り返される「普通」の日々に耐え難いほどの苦しさを感じている「普通の人」。全ての人に「それだったらサラリーマンを辞めるのも仕方ない」と納得してもらえる程の「明確な理由」を持たない人。

その種類の苦しさは、誰にも分かって貰えません。誰かに相談すれば、「贅沢な悩みだ。苦労して有名な会社に入って、給料も高いしそれなりに評価もされている、本人も家族も健康。世の中にはもっと苦しんでいる人がたくさんいるのに何をバカなことを」なんて言われます。

ただ、それでも、本人はどうしようもなく苦しい。誰かの指示に従って、誰かの機嫌を取りながら、望んでもいない仕事をして、ただ人生を浪費する。そのことに耐えられないという種類の人にとって、サラリーマン生活は牢獄あり、奴隷生活です。ただ本人が辛い、それだけで、会社を辞めるには十分な理由だと私は思います

それが、「人生計画書」の背景にある思想です。っという私の「自己開示」でした、というオチですスミマセン。それでは、また。